ILL-BOSSTINO(THA BLUE HERB) MONTHLY REPORT 2006.09

はい どーも 今月は大幅にアップ遅れてしまって まじですまん 

前に ここの文を書いてたのは南スペイン ネルハ そこから長く曲がりくねった道のりを経て
昨日札幌に帰ってきた 今年は北海道 高校野球含めえらい暑かったらしいけど まだ残暑って感じ
風が気持ちよく 飯も旨いし バックパックを紐解いて 3ヶ月半の長旅からゆっくり着陸しています

ネルハからは ジブラルタルを越えて(!) 異常に効率の悪い入国審査を経て アフリカ大陸初上陸
タンジェという街からモロッコ入国 そこはフェリーでたった2時間しかない距離なのに スペインは
遥か遠く感じるほど世界は一変していました 人 言葉 町並み そして宗教 全てが何も知らない
日本人に襲いかかって来るかの如く ざわざわ がやがやと混然とうごめいていた 久々のガツンと
くるカルチャーショック! いやー旅はほんっと何が起こるかはわかりません 見知らぬ国への予想が
当たった事なんて一回も無いもんね 来て自分の目で見てみないとわからんことってのはあるもので
ひたすら迷路のような真っ暗なタンジェをモロッコの東西南北を確かめる様にさまよっていました
タンジェを出て かつてのイスラムの閉ざされた聖域シェフシャワンへ その静かな山里で満月を
堪能して 1000年の都フェズへ その辺からモロッコの独特なペースと次第にシンクロ出来てきて
さらに列車でマラケシュ 北アフリカ最大の街はカオスの極地 メルティングポット 混乱の中 足を
踏まれ 馬車にひかれそうになりながら 呆然と立ちつくしていました 絶景のアトラスをバスで越え
ワルザザード そこから一路サハラ砂漠を目指し チャーターしたパジェロで摂氏50度の一本道を
ひた走る 地図上最南の町マハミドを越えて いよいよ道も消え 砂と岩と熱風 地面にしがみつく
サボテン(の様なモノ)だけの世界をさらにひた走り オアシスで井戸水を浴び 遂にシェガガ砂丘へ 
ここが今回の旅で最も家から遠かった場所だった かつての長旅の最遠到達地点 ヒマラヤの奥の聖地
ムクティナートを思い出す最果ての空気 その夜はそのまま砂漠で無数の星を天井に見上げながら
ノマドと夜を明かし ワルザザードに帰還 再びマラケシュに戻り屋台で栄養補給して 最後に目指し
たのはジミヘンドリクス伝説が残る大西洋沿いの町 エッサウィラ ここは元々芸術家の集まる町で
ジミヘンドリクスが1年に5回 自家用ヘリで仲間と共にやって来て セッションして ライブしてと
随分えらい大騒ぎをしたらしい 旅中会ったモロッコの不良のお薦めの町で 実際地元の奴等は
今もジミヘンと共有した時間を誇りに思っている 何かラリーレヴァンやウォルターギボンズと一緒に
過ごした時間を 俺等に先週のパーティーのように話してくれる札幌を思い出していました そこで
しばらくチルしてマラケシュに戻り そこからまた強烈に効率の悪い出国審査を経て すれっすれで
飛行機に滑り込み怒濤のモロッコを出国 ふー タフな国だった でもタフであればあるだけ思い出は
深いってのはまさにその通りで 強烈なインパクトを残す 興味深い国だった トルコに次ぐ俺には
2回目のイスラム国 持っていた稚拙なイメージは一瞬でぶっ飛び 目の前に存在するリアリティに
追いついていくので精一杯だった 人は皆 俺が1ヶ月で出会った人は皆 親切で 確かに旅人と
関わる人なんて旅人とお金を媒介に関わるのだから親切が当然なのだけど 何かそんな次元じゃないと
思う位 皆本当に親切で 優しく 穏やかで 情があり そこがモロッコ旅行で一番印象に残った
遙か東では同じ時間 イスラエルとレバノンの紛争が勃発していて イギリスではテロ計画が発覚し
安全な世界は 一見するとイスラム教徒によって脅かされているように見えるけど 少なくとも俺が
出会った人は皆が善人だったよ 都市は別にして その世界には 俺が暮らす世界の常識が全然無くて
それがこっちの気持ち次第で不気味に見えたり 怖く見えたりするもんなんだけど 実は向こう側にも
こっちのことがそう見えてたりして 話してみると 年の近い奴等はやっぱり笑う所は同じだし 
子供はつまらんことで泣き 母ちゃんは洗濯しながら長話して 爺さんは俺など視界に入れずに
過ぎた時空の遠くを眺めてる そうやって毎日を暮らしていた モロッコ良かったぜえ!

マラケシュから着陸したのはスイスのジュネーブ ここは2001年の長旅の時にも立ち寄った街で
そこでスイス人とレコーディングしたんですよ 音は製品になってないんだけど時々ダイがかけてる
スイス人ラッパーとのマイクリレー 5年ぶりにその男クリスと久々の対面 おー!上がるね
そしてベルギーのブリュッセルへ飛んで そこから列車で古都ブルージュへ こ・こ・がまた凄い
ヨーロッパの古都ってまっじで美しい 保存もちゃんとされてるし 古さにさりげなく新しさを入れて
今の時代に違和感無くとけ込んでる キリスト世界の文化の洗練さをまざまざと見せられた そこから
オランダ ロッテルダムへ ここにはレコ屋が集まる通りがあって 3日間ひたすらレコード掘ってた
店に出てるの見尽くして 地下の倉庫に入れてもらって掘ってた ざくざく 手が真っ黒になるまで
そして3ヶ月ぶりにアムスに到着 そこでも皿掘って 香港経由で札幌に帰って来ました ふー

ヨーロッパでは歴史の深さにやられた 多くの失敗を経て たどり着いた思想が背後に浸透していて
手にしている自由と重い責任のバランスが絶妙で みんな好きに生きてる 格好も勝手にやってる
社会は これまた大人っていうか 成熟しているっていうか あらゆる人種が混ざって 調和している
ニューヨークの様に ここから先が黒人で この通りが中国人で デリの店員は韓国人って感じで
住み分けしてるんじゃなく 本当に混ざっている ジュネーブのクリスもそこを誇りにしていた
肌の色や言葉 宗教や産まれた場所 そんなことは悪意とは結びつかず むしろその人の個性と見てて
その人の内面 人格とは見かけでは決して決めつけられる事ではない 異なる事を受け入れること 
寛容とは可能な事なんだな 何故日本人は韓国人や中国人とうまく混ざっていけないんだろう
ジュネーブの駅の高架下 帰宅を急ぐ イスラムの服装をした人達や肌の黒い人達を 窓からぼんやり
眺めながら 肌の白いクリスと タイ料理を食ってる日本人の俺 国って何なんだ?って思ってた

思考は浮かんでは消え 答えは次々とくつがえされ 今も葦は天に向かって伸びている

シスコ札幌店が今月で閉店する これは帰国早々ショッキングなニュースだった
俺等 TBHRにとっては シスコ札幌は出発した場所であり まだ見ぬ世界を知った場所だった
そこの棚にレコードを並べることがかつての俺等の夢だった 発売日にはオノちゃんや仲間とバイト後
見に行ったものだ 多くのジャケットがそこを飾った 今日この時にもJ.S.S.がそこにあるはずだ
今の俺の音楽観はそこで生成され プレシャスホールで精製されたといっても過言ではない
全く残念な事だが仕方がない 前に進んで行くしか俺等にはできない スタッフの皆まじでお疲れさま
さあ立ち上がり 俺等の未来に向かおう それは その時から今まで これからも俺等の手の中にある
J.S.S.はリリースが続くが 札幌の皆は何とかして手に入れ ついて来てくれ 絶対応える音があるから

J.S.S.は2枚目のアナログと シングルCDまでの地点まで来た 先は長いぜ 全て始まったばかりだ
挨拶はこの辺にしておいて いよいよJ.S.S.という共同体の意味 思想 姿勢を現す領域に入っていこう
来月にはモンスター級のシングルが発売になる 詳しくは次回 

今回 旅の場面に素晴らしく映えて 俺を旅の中の旅に連れて行ってくれたアルバムです
「SOUL OF RITE」/ GOMA
「MOONAGE ELECTRIC ENSEMBLE」/ CALM
「LANDSCAPE」/ BLAST HEAD
「ELEMENTS」/ FINAL DROP
「WACKIES SAMPLER」/ V.A.
「A NEW CHAPTER OF DUB」/ ASWAD
「ATTICA BLUES」/ ARCHIE SHEPP
「LIGHT AS A FEATHER」/ CHICK COREA AND RETURN TO FOREVER
「NEW CONCEPTION OF JAZZ : LIVE」/ BUGGE WESSELTOFT
「AT THE PERSHING / BUT NOT FOR ME」/ AHMAD JAMAL

皆 良い秋を     ILL-B