ILL-BOSSTINO(THA BLUE HERB) MONTHLY REPORT 2008.07

いい季節やね。札幌もかなり快適な事になっとるよ。梅雨もないし、カラッとしてて、涼しいし、こっから2、3ヶ月は北海道の気候が最高気持ちいいです。

突然だけど、ここ見てるヤツでスケボーやってるやつってどれ位いるかな?札幌は特に冬場がアレだから、スケーターってあんま周りにいないんだ。どっちか
って言うとスノーボーダーの方が多いんじゃないかな。何でこんな事を書くかというとね、FESN、FAR EAST SKATE NETWORKっていうクルー知ってる?
森田貴宏っていえば判るかな。そう俺等が六本木コアでやったライブを撮って、ライブビデオを編集してくれた男。そして「THAT'S THE WAY HOPE GOES」の
監督ね。そんな彼はスケーターなんだ。ま、彼の事を知らない人に最初から説明するつもりで書いてるからね。で、彼は今まで色んなスケボーのビデオ、最近なら
DVDを自らのFESNからリリースしてるんだ。俺はスケーターじゃないし、スケボーも全くの素人なんだけど、彼のスケーターを撮った作品は本当に好きなんだ。
難しい技とかなんてさっぱりわからん。ましてや出てる人も誰一人知らん。でも楽しめる。一見すると、ただボケっと眺めてると、延々とスケーターが滑ってて、
技を披露しているようにしか見えないかも知れない。しかしそれだけではない事に俺は幸運にも気付けた。そこには、映像の向こうには、注意深く観ると透けてくる
「何か」がある。スケーターにしか解らない話じゃなく、万人に理解されうるドラマが実は隠されている。そう、隠されているんだ。だからここで書いたからって
すぐ観たからって、俺と同じ感想を持つってワケじゃないぜ。音楽と同じ。受け手次第でいくらでも印象なんて変わるからね。俺自身だって、毎日同じ気分では
ない。とにかく、俺は彼の最新作「OVERGROUND BROADCASTING」を観た。最高に楽しく、そして笑えて、勇気づけられた。これは俺自身に起こった事実。

スケーターの世界ってのは、ただの遊びに見えて、いや、ただの遊びだからこそなのかな?ここでは決めつけない。ラップ稼業なんかと比べると、とても純粋だ。
グラフィティの世界にも同じモノを俺は見出す。理由は、ビジネスになりにくいから。すべての芸術には、2種類の形態がある。それは売るつもりで創られたモノと、
売るつもりで創られたワケではないモノ。どっちが良い悪いって話じゃないぜ。ただスケーターの世界にはビジネスの匂いがしてこない。これはスケーターの世界の
外側にいる俺から見た景色だからね。全てを知っているわけではないよ。ラップ稼業とは根本は同じでも、やはり異なるものに見えるんだ。もちろん仕事にしている人も
いる事はいるだろう。けれど、そもそもスケーターって呼び名は職業なのか?多分違うと思う。単なる趣味なのか?それも違うと思う。簡単に言えば生き方なんだと思う。
だからいつまでも皆、マジで少年の様に楽しんでいる。皆、恐らく仕事をしてるはずだ。ボンボンでもない限り。そしてそれとは別の位置にスケートを置いているように
俺には見える。汚れのない場所に。大切に。そう、いつまでも楽しみたいが故に。もちろんラッパーだって純粋だ。しかしこれで喰っていくと決めたなら、いつまでも
無垢なままではいられねえ。危ねえ橋だって渡んなきゃならねえし、楽しい事ばかりってわけでもねえ。もちろん俺は他の誰よりも楽しんでるぜ。しかしはっきり言って、
毒すら飲み込んでやる姿勢じゃねえと金は稼げねえ。半端な仕事で、はした金は稼げても、それも長くは続かねえ。何かを犠牲にしなくちゃならねえ。まあ、これは
世の中全ての仕事にあてはまるな。そしてもし君がずっと、あの最初の気持ちのまま、楽しみを全てに勝る第一条件にしながらラッパーを続けていきたいのなら、多くの
スケーターがスケートに接するようにすればいい。そして君は初めて気付くだろう。楽しむという事はいかに多くの犠牲の上に成り立っているか、を。彼等の生き方は
俺には真似できねえ。俺はもう戻れねえ場所にいる。だからなのか知らないけれど、俺はスケーターの世界が好きだ。部外者だけれど、いや部外者だからこそ憧れにも
似た気持ちで眺めている。そしてその視点から見た彼等の世界は、すぐに、ただの遊びに見えて、実はただの遊びではない事を俺に気付かせる。熱さを内に秘めた、寡黙な
スケーター達。究極の快楽、刹那の絶頂のために、それをもう一度だけ味わいたいがために、無情な、モノ言わぬコンクリートに体ごとぶつかっては砕けを、何度も何度も
繰り返している。区画整理を命ぜられたありとあらゆる遮蔽物、建造物を、すなわち社会のシステムそのものを、過保護なクソッタレな世間様を、彼等は余裕でひとっ飛び
に飛ぶ。鋭角に足場を築き、アスファルトに一矢報い、彼等は文字通りその「上を行く」。瞬間の征服者。まさに路地裏で、限りない自由を手にしている。重力に逆らい、
跳ね、空に近づき、そしてすぐに落ちてくる。わずか1秒にも満たない涅槃の境地。それの味を知ってしまった愛すべき雑踏の無政府主義者達。音楽を口ずさみ、友情を
信じ、外側の世界に出る事を恐れず、遠くからの客人を迎え入れ、それに学び、自分を世界の一部と自覚しながらも、地元を愛している。ごきげんな、人生のひと時。
失敗の影、疲れ、諦めを振り切り、究極の快楽、刹那の絶頂のために、もう一度だけ味わいたいがために、再び助走を始める。そう、彼等の動作の1つ1つは「詩」だ。
森ちゃん、マジで良かったぜ。俺は友人としてだけではなく、一人のファンとして、君に「何か」を教わった一人の人間として、日本人として、このマスターピースが、
多くの人間に観られる事を、そして前向きな作用をもたらす事を祈っている。信じている。そして今日も、昨日に引き続き、楽しんでる全てのスケーター達に栄光あれ!

こっからは恒例のツアーレポート。長いよ。文字が溢れ出てくる。ま、ゆっくり読んでくれ。

ASIAN DUB FOUNDATIONとのツアー。最高の体験でした。名古屋、大阪、東京と回ってきた。初日、名古屋、箱に着くともうADFのメンバーがリハやってました。
2000年に札幌で対バンして以来、かなり久々。メンバーもずいぶん変わっていたらしく、札幌で、俺等の楽屋にいきなり入ってきて、「ヨー、お前ら最高だったぜ。
お前らのTーシャツくれよ。」と言ってきた、イカしたMCの男、ディーダーはいなかった。はっきり言ってお互いプロだから、ましてや遊びに来てるわけでもねえしって
感じで、最初は人見知りヴァイブが両者を隔てていた。OK。いいよ。問題ない。俺等は俺等の仕事をするまで。向こうも同じ。ぶちかましてやるよ、なんて思ってた。
箱はクアトロ、去年のリリースツアー以来。第1ラウンドスタート。先攻は俺等。無論、勝ち負けじゃあねえが、はっきり言って、今回はアウェイ。ADFのファンが
ほとんどだと思っていたし、俺等が失うものは何もないと思って挑んだ。ADFのみを目当てのお客の好奇の視線をバチバチ感じながらたった二人でステージに出て行く。
何故なら、それでも、それでも俺等にも伝えたい事はあったんだ。俺等の背中を押してくれる熱いサポーターの力を得ながらの50分。最後の拍手とフロアーの景色は
そりゃあ美しかったぜ。俺も角がすっかり落ちて皆に素直に感謝を言えた。本当にありがとうございました。ダイとステージを降りて、楽屋に戻る途中、出番を控える
ADFのメンバーが皆で迎えてくれた。実質ここが初の握手、会話だった。皆、超マジな顔してた。握手も力強かったし、熱い事を言ってくれた。そうか、良い感じで
バトンを渡せたんだ、と思った。安堵した。なぜならそれが今回の俺等の任務だったから。そして後攻、メインアクトADF。楽屋で皆で輪になって、テンションを上げて、
一人ずつステージに出て行く。怒号に似たお客の叫び。ライブは俺が思っていた以上の上げっぷり。お客も上がりっ放し。まさに静と動って事だ。OK。先が見えてきたぜ。
ばっちりだ。残りは2ラウンド。

クアトロを出て、ダイとうどん喰って、打ち上げへ。かなーりの大所帯でワイワイ飲んだ。ADFチームはメンバー以外のPA、照明などの、サポートメンバーは全員を
ヨーロッパから連れてきてた。で、俺等のステージをサポートしてくれるのは、日本代表クラスの超凄腕の男達。ほとんどのフェスや、リキッドルームでのデカイ仕事の
時は必ず誰かはそこにいる。俺等よりも早くそこにいて、完璧な舞台を用意してくれている。ステージ監督、PA、そして照明。経験も実力も最高強靭なドリームチームが
俺等を支えてくれた。まじでありがたすぎる。だから音、ヴォーカル、エフェクト、そして照明をとことんまで追求する事が出来るってわけだ。タイムリミットは三日間。
三日間でどこまで完璧に近づけるか。飲みながらも、すぐにマジな話になってしまうくらい、皆、本物中の、本物。程よい緊張感と開けっ広げなバカ話。旨い酒、最高。

昼過ぎに名古屋を出て、大阪へ。一夜明け、移動中もADFとの会話がだんだん増えてくる。メンバーが多いから、皆、それぞれがオモロい。落ち着いてるヤツもいれば、
落ち着かないヤツもいて、ますますオモロい。実はローマに住んでたりフランスから来てる人もいたり、ヨーロッパは移動が早いし楽だから、日本の感覚とはずいぶん
違う。会場は難波HATCH。結構昔1回やったことがある。中々デカイ。俺等のセットは3日通じて50分。お客は俺等の音楽をよく聴いてくれている人ばかりじゃない。
っていうかほとんどは俺等の名前すら聞いた事がない人達だ。なんせそこはアウェイ。しかし得る事は多い。地球は広いが世間は狭い。そこにあるのは色んなタイプの
音楽。優劣は付ける事が出来ない。付けられたくもない。出来る事は限られている。俺等はこれでこの仕事を手に入れた。ADFしか俺は聴かねえよって言ってるやつらは
相手にしてねえ。それでいい。ちょっと外に出て、タバコでも吸ってろ。悪いが捨て置く。俺等は、そこに俺等を向いて立っている、ただただ開かれたお客の心の存在を
信じるしかねえ。ADFのみ目当てにしながらも、THA BLUE HERBとかいう日本人のHIP HOPグループの音楽への興味を、少しでも持ってきてくれているお客の心の存在を
信じるしかねえ。そしてそこに向かって誠心誠意、日本語でラップするしかねえ。って言うかそれしかできねえ。そうなんだ。我々だって札幌からここに招かれて来ている
のだ。だから誇り高くやるまで。この夜も与えられた貴重な時間を、大事に使わせてもらった。最後まで聴いてくれていた皆、本当にありがとうございました。出番後は、
大阪、京都のいつもの友人達と話し、笑い、飲んだ。皆、来てくれて心強かったぜ。そしてADFもバンドの精度が確実に上がってきてる。ラスト1日。

終演後、何か喰いてえな、と1945A.K.A.クラナカ和尚と一緒に、一気に鶴橋オモニへ。まさかの2ヶ月連続。あーいかわらず揺るぎなし。激ウマ。

翌日は、オフ、東京へ移動。下北沢に皿掘りに行ったりしながら、のんびり過ごす。明日は泣いても笑っても最終ラウンド。高ぶる気持ちを抑え、早めに寝た。

前日の雨はあがり、ばっちり快晴。この2日間の修正点はダイとしっかり詰めた。体調も万全。何かが起きる予感がするぜ。箱は新木場スタジオコースト。初上陸。そこは
前々から噂には聞いていたデカ箱。音も良し。PAさん、照明さんとの打ち合わせもばっちり。お互いの意思疎通もばっちり。いよいよ何かが起きる予感がするぜ。そして
その予感を信じて、中野からFESNクルーにも来てもらってた。カメラは3台。そしてカメラマンのSUSIEもスタンバイ完了。さあ、ダイ、時間だ。イントロをぶちかませ!
スローモーションのような場面、場面の移り変わり。50分、一度も気持ちが切れる事なく、俺は恐ろしく冷静だった。そしてスタジオコーストの音はデカく、クリアで、
静寂はどこまでも無の静けさだった。俺には真正面に対峙しているお客の顔がよく見えた。上がる腕、叫び、拍手。1分、1曲、1小節を噛み締めて、感謝のセリフまで
辿りついた。ここで流れてしまった時間を振り返り、あの完璧な雰囲気を文字で伝えれるのはここまでだ。これ以上は言う事なし。皆、本当にありがとうございました。

舞台は静から動へ。ADFの日本ツアー最後の大立ち回り。3000人のオーディエンスも熱狂で応える。俺は疲れと、酔いと、達成感と共に独りでステージを観ていた。
かのヨーロッパから遠く離れた極東で、ここまでお客に愛されているADF。マジで素晴らしい。こんな人等と回る事が出来て、マジで感謝だ。そして俺等も、俺等に
しか出来ない音楽を既に手に入れ、表現していることを知った。お客に好きか嫌いかのどっちかしか求めてこなかった俺等にも、今、あれだけのお客が待っていてくれて、
応えてくれている。この先もこの世の中に生きている人達、全員に認められる事は恐らくない。でも俺が認める。俺は、俺等は間違ってねえ。大丈夫だ。この道でいい。

楽屋口は、たった今、ライブを終えたADFと多くの関係者、友人達でごった返していた。ADFのメンバーも皆、いい顔してた。皆、達成感を手に入れていた。良かった。

さあ!打ち上げだ。明日の朝にはもうADFは皆ヨーロッパに帰ってしまうんだ。打ち上げだ、打ち上げだ!三日間、俺等のステージをサポートしてくれていた、いや、
俺とダイという二人の生身の人間を奮い立たせ、音を出させ、照らしながら、THA BLUE HERBを演奏していた大山さん、サニーさん、平山さんとも、今日でひとまず
飲み納め。これからまた色んな場所で出会う事はあったとしても、この三日間は本当に貴重だった。乾杯だ、乾杯だ!皆、席を移動したりしながら、本当に全開でご機嫌に
飲みまくった。皆、ずーっと笑っていた。誰一人悔いはなし。騒げ、騒げの大宴会。英語でも、フランス語でも、日本語でも、全ては前向きな言葉ばかり聞こえていた。

楽しい時ってのはあっという間に過ぎて行く。打ち上げを終え、外で皆と最後の握手、ハグ。マジウルルン状態っすわ。また遊ぼうぜ。皆、こんな事を言っていたと思う。
ビートインクの皆さん、そして携わった全てのスタッフの皆さん、本当にありがとうございました。そして!ASIAN DUB FOUNDATION!リスペクト!また遊ぼうぜ!


この時点でまだ6月1日。まだツアーは始まったばかり。そう、すぐに週末はやって来る。達成感にひたれるのは、はっきり言って当日の夜のみ。明けたらすぐ練習!

山場は続く。翌週はKAIKOO以来の横浜。青の旅団が速攻戻って来たぜ。羽田空港からも近く、さくっとホテルに荷物を置いて、目指すはそう!やはり中華街っしょ!
こ・れ・が、旨かったな。早くも来て良かったモード。辛いって聞いてたけれど俺等スープカレーで鍛えられてっからね、余裕だった。今夜の箱はリザード。リハも
入念にダイがPAさんと音を創ってったのもあって、出音バッチリだった。約1ヶ月ぶりにもかかわらず、後ろまでびっしりと詰めかけてくれたお客の熱気で、早くも
薄くなった空気の中、ライブはスタート。KAIKOOや先週までの50分セットじゃなく、離陸から着陸まで、言い残しなし、いつものフルセット仕様の2時間。あれが
正真正銘THA BLUE HERB SAPPORAWです。オーディエンスのテンションも最後まで落ちる事なく、一気に突っ走ることが出来ました。マジで最高だったよ、横浜。
ありがとうございました。終わってからはZZ PRODUCTIONの皆、根木君や地元の仲間達と再び中華街で飯。徳島以来のステルスの面々や、サ上達と、喰らい、話し、
笑い、語り、飲んだ。言い尽くせぬ、いい時間だった。そして俺はまだまだ遊び足りないダイを置いて、ホテルまで、夜の中華街を迷い歩きながら、さくっと就寝。

翌朝は、な、なんと朝6時起き。横浜から電車乗り継いで長野まで行かなくてはならない。目指すはTAICOCLUB'08。移動的に今年上半期の山場。横浜から八王子に
向かう段階で早くも通勤、通学ラッシュに巻き込まれ、終始無言、省エネモードで乗り切る。八王子から特急、そんでローカル線を経て、迎えの車に揺られて、会場
こだまの森へ到着。着いて速攻リハ。リハ終わって飯。飯喰って昼寝。で出番。もうくったくただったけど、フェス独特の空気で本番前には戦闘モード。どんな客層
なのかも全くわからない、やるしかねえって出て行ったら、果てしなく向こうまで埋め尽くしていたお客、お客。上がったぜー。で、があ!っつりやらせてもらった。
最後のAME NI MO MAKEZでは1999年の京都でのライブ以来、やってる途中に雨が降るという奇跡が。キテたねえ。皆のシリアスな想いがあの場を支配し、演出
していたんだよ。それはステージにいる俺等からは明白だった。どうやら俺等はまだまだすげえ事になっていくんだな。皆、ありがとうございました。終わってからは、
田中フミヤ君聴いてレイハラカミさん聴いて、フェス飯喰って、飲んで、騒いで、満喫してました。TAICOCLUB、最高に楽しいことになってました。お疲れさまでした!

翌週は富山。近隣の金沢、福井はもう何度も行ってるんだけど、富山は初上陸。出発は夕方のフライトだったんで余裕かましてたら、何と聞いていた出発時間と違ってて
ギリギリセーフ。あーぶね。で、乗ると、飛行機、なんと国際線仕様。しかも俺等の席は前の方でファーストクラス仕様!がっちりベッドにして、最高快適な1時間半。
着いた富山。富山市ではなくて今回は高岡市ってことで、そっからしばらくのどかーな景色の中をドライブ。今夜の箱はダンケ。一足先にO.N.Oが去年の秋に来ていた箱。
結構苦労した音作り。俺等のライブはね、言葉が聴き取れないともう、お手上げなんで、そこは何時間かかってもしっかりやらなくてはならないんだ。それでも、言葉が
聴き取りにくいライブになってしまう事も多々ある。お金を払って、遠い所来てくれたお客には本当に申し訳ない。完璧への道はまだまだ遠いよ。で、飯です。飯は俺等
事前に日本海の海の幸をリクエスト。で、アワビの刺身のデカさにびっくり。そして旨さに降参。完敗。すんませんでした。こんなの喰ったことねえよって位やばかった。
ライブはしっかり2時間。この街も熱かった。絶え間なく、ステージに大挙して押し寄せて来る、皆の心の熱さに上げられっぱなしでした。皆、ありがとうございました。

翌日は京都。しっかり寝たので、着いたらもう真っ暗だった。箱はいつものウーピーズ。今夜はTIGHT10周年京都版って事で、東京からDJ YAS、DJ QUIETSTORMも
一足先に到着。ゆっくりなごみながらリハやって、飯。飯はもう最近はずっとここ、龍門。西日本最高の味と、京都の仲間が誇る店。ここがほんっとうに旨い。がっつり
喰って、さあ本番だ。この夜のセットは70分。言いたかったことは全て言わせてもらった。京都と、東京の中野は俺等にとって特別な街だ。これは他の街と比べた時の
優劣の問題なんかじゃない。単なる長い歴史の果ての成り行きだ。木屋町と狸小路、中野と平岸。色々なエピソードと共に、その間の道を辿って、俺等はお互いの地元を
訪れた。音連れた。だから言いたい事も、対象もはっきりしてる。そしてそれは時の流れとともに移ろっていく。もういなくなった仲間、来られなくなった仲間・・・。
君等が、多くの別れを抱えながら、思い出を抱えながら、なおも笑い、生きていく姿を見ていて、俺自身の心に浮かんだ言葉は沢山ある。その言葉達を組み合わせて出来た
曲もある。SOULの話だ。友人達よ、これからも俺は見てるぜ。DJ WESSUNの素晴らしいプレイを聴きながら、極上の酒を飲んだ。京都の皆、ありがとうございました。

翌週は、久々の週末札幌オフ。しかもパーティーラッシュになっていて、愉快な仲間とあちこち遊び歩いてた。ダイとJUN-GOLDのパーティーにはGOMAちゃんがゲスト。
観る度、聴く度に1度たりとも同じ様なライブはやらないね。今回も良かったぜ。間違いない。で、ZEPP札幌に行くと、ここでもSUNPAULO、DACHAMBO、CRO-
MAGNON、KUNIYUKIさん達がライブしてた。全部は観れなかったけれど、沢山人来てて楽しい事になってたね。俺も心解放して、音楽を目一杯楽しんだ。ZEPPを出て
まーだ遊び足りねえって言う俺等が辿り着いたのは、MORROW ZONE。MJPやN.O.R.T.H.C'Zが、いつもの良いヴァイブスで迎えてくれて、上がってワイワイ飲んだ。

そして神戸。6回目。そしてこの日はMJPとの初めての札幌以外での共演。お互いが札幌を拠点に活動していながら、空港とかでは会ってはいたんだけど、共演するのは
初めて。貴重なブッキングに感謝。いつもはダイと二人での移動も、この日はMJPの5人と一緒なんで、かなり賑やかな感じになってたな。サッカーから音楽まであれこれ
話し、笑い、楽しかった。そして神戸でも地元の多くの音楽家が笑顔で迎えてくれた。自主制作精神が昔から神戸には根付いていて、個性が漲るMC、DJがこの街は多い。
プラス徳島からAKT THE JN(遂に邂逅)、さらに大阪からヒダディーも来ていて、どこに行っても、誰と話しても、楽しい事になっていた。旨辛の韓国料理屋でワイワイ
鍋喰って、しっかりスタミナ貯めて挑んだライブ。MJPの後(年末以来に観たんだけど、良かったぜ)、ヒダディーの熱すぎる紹介を受けて登場。きっちり1時間。歓声が
飛び交う混乱と狂乱の前半、深く沈み込む中盤、そして感謝を伝えるエンディング。皆、最後まで聴いてくれて、俺等をそこに、底に、誇り高く立たせてくれてありがとう
ございました。終わってからも多くの人と出会い、旨い酒を飲んだ。太龍、そして仲間の皆、お世話になりました。未来、神戸から聴こえてくる音楽、期待しています。

朝、まだ寝てる皆をホテルに残し、俺は東京へ向かう。この日はリキッドルームでTIGHTの10周年パーティー。俺は、MR.KOBAYASHIにシークレットゲストで呼んで
もらった。俺等が東京で2回目に、今はなきイエローでライブやらせてもらったのがTIGHT。2002年、これも今はなき大阪ベイサイドジェニーで、PHASE 2の初戦の
ライブやらせてもらったのもTIGHT。節目、節目でデカイ山を用意してもらってる。DJ YASとDJ QUIETSTORMの二人との交流もその最初の日以来、変わらず、信頼を
深め続いている。箱がなくなったり、ブームがやって来ては去っていく、この激動の音楽業界で10年に渡って続けてきたパーティー。KRUSHさんを筆頭に、ゆかりある
強者達が、マイクや楽器、レコードを持って集まった。THC CREWの最高すぎるライブからスタート。このパーティーが、そしてそこでかかる音楽が本当に好きなんだなっ
てのがビシビシ伝わってくるオーディエンスの熱さと共にパーティーは進んでいった。俺はYASとQUIETSTORMの時間にそれぞれ1曲やらせてもらった。楽屋は、次々
祝いにやって来る顔役達との乾杯が延々続いた。ずっと同じ土俵で何度も音を一緒に鳴らしてきた男、過去に色々あった男、名前だけは知っていたけれど遂にこの日初めて
会えた男・・・。皆、傷つき、傷つけ、この世界を生き抜いてきた。そして今日もそれぞれの闘いは続いている。華やかな世界なんかじゃねえ。皆、明日も仕事だ。だれも
堅っ苦しい話はしねえ。皆、グッドヴァイブス。最高飲んだ。いい夜を過ごさせてもらった。DJ YAS!DJ QUIETSTORM!TIGHT!10周年、おめでとうございます!

7月頭の週の、2本のライブでひとまず春から続いていたツアーは一段落つく。本当に色んな街に呼んでもらった。どこの街も、心開いて迎えてくれました。感謝です。
俺等のライブも、俺等自身の実力不足を第一に、そして他の様々な要素が原因になって、俺等的にも良かった日、良くなかった日があった。完璧なライブはあったけれど
全てではない。でも、それでも、全てのライブに言えるのは、最後の感謝の気持ちを表したいという気持ち、そして実際に表した感謝には嘘はなかったという事実。HEAVY
MANNERSの同志、秋本君と話したんだけど、「強さ」とは、必ずしも「強さ」だけを指すのではないという事。「弱さ」を知らなくては、自覚しなくては「強さ」などは
ただの他人に向けた虚栄でしかないという事。ライブも、良かった日、良くなかった日、良かった曲、良くなかった曲、良かったバース、良くなかったバース、良かった
ライム、良くなかったライム・・・。言いだせばキリがねえ。全て含めて自分のやった事だ。終わってから後悔しても、時間は戻らない。良くなかった部分は宿命だ。常に
存在する。遠ざけても消えはしない。全知全能の神でもなけりゃ、機械でもない。俺等にとってライブとは、LIVEとは、不完全な人間が完全に憧れる姿をさらけ出す事だ。


ふう、今月は長かったな。色々あったもんな。ここまで読んでくれて感謝。最後に業務連絡です。7月1日から「SEASONAL BEST:SUMMER」がオンラインショップで
発売になる予定です。DJは無論DJ DYE。今回は折衷的だった春版と違い、テクノ、ハウスを基盤に、早々に加速、疾走し始め、そのまま最後まで一気に駆け抜けるという
非常にストイックかつダンサンブルな内容となっています。前回の春版はオンラインショップでは3日間で売り切れになって、皆にはずいぶん迷惑をかけた。今回も数量
限定なんで、どうしても欲しい人はなるべく早く注文してください。いつもありがとうございます。オンラインショップでお買い上げのお客にはまたステッカー付けます。
ステッカーは春版の時のとは違います。店頭販売は7月15日前後から。直接卸すお店は、追ってここでお知らせします。よろしくお願いします。

では、皆、健康で
ILL-B