ILL-BOSSTINO(THA BLUE HERB) MONTHLY REPORT 2010.01

あけましておめでとう。

2010年が始まった。昨年も沢山のサポート、力になりました。ありがとう。色々あったけどここまでたどり着くことができた。思えば昨年の今頃は
シスコショックを経て、これからのTBHRの進む道を模索していた時期だった。まだ見ぬ道に踏み出す心境だった。不安と言えば不安だったけど、根拠
もなくワクワクもしていたね。無理やりね。ワクワクはいつでも、最後まで持っていたいね。ま、とにかくその頃から比べると今の俺等に迷いはない。
完全に吹っ切れてる。新たに戦線に加わった仲間、そして昔からの仲間と共にやらなくてはならないそれぞれの仕事ははっきりしている。MC、MPC、
DJ、PA、照明、デザイン、カメラ、映像、ブッキング、ウェブサイト、通販、流通、制作、経理、あらゆる場面でのプロフェッショナルを擁する、
巨大なTHA BLUE HERB RECORDINGSと名乗る母艦は、時に1人何役もこなしながら、航海を続けている。出発した時は2人乗りのボロ舟だった。
思えば遠くに来たものだ。

昨年は年始からずっとDVD「STRAIGHT DAYS」を森田監督と制作、そしてウルトラヴァイブと流通、販売の段取り、宣伝、プロモーション、で、
3月発売して、すぐに5月2日の東京上陸(札幌以外でのライブ)10周年記念ライブ、「演武」DVDの再発、さらに「STRAIGHT YEARS」発売、
ゲータレードのCMの音楽の制作、と落とせない激戦は続き、その間も列島各地でのライブ、サマソニ初参戦、過去のCDの再発、O.N.Oのライブアル
バムのプロジェクト、そして客演の制作、とまあ中々大変だったね。客演も今年は自分等の制作がまだまだ個人レベルな段階にあるってこともあって、
タイミングが合う限り受けさせてもらった。DJ BAKUとの「JAPANESE HIP HOP AND ME」、クラムボンとの「あかりfrom HERE」、G.CUEとの
「真夜中の決闘」、SEEDAとの「WISDOM」。こうして並べて見ると皆、それぞれ異なるスタイルを持った人達なのがよく分かる。全てが素晴らしく
違う。出来上がった楽曲もやはり違う。同じように聴いた人の感想もそれぞれ違う。同じ音楽、HIP HOPでも趣味趣向が異なるように、色んな表現が
ある。それがおもろいとこやね。だから俺もそれぞれの楽曲でそれぞれのスタイルをそのまま感じて、受け止め、表現することができた。何よりさ、
偏ったある一方から、内輪から誘われるのではなく、こうやって色んな畑から誘われるのが嬉しかった。何故ならまさしくそれこそがこの10年余り
音楽をやってきた1つの成果だと思うから。俺は来る者は拒んでこなかった。スタイルが自分の音楽と違うと思っても、そこに固執してこなかった。
違いを違いのままに、それよりも人間そのものを、目の前の相手の人間性を見極めてきた。そこで、遊べる人か、違うかを決めてきた。だから今、俺は
本当に沢山の友達に恵まれている。HIP HOPにももちろん、ロックにも、パンクにも、ダンスミュージックにも、スケーターにも、服屋や夜遊びにも、
どこにでもいる。日本中にいる。しかも彼等、彼女等も結局は繋がっている。最高だね。愉快なことだ。それがある意味、時代が変わったと言えること
なのかもしれない。初対面の人とも、共通の友達がいることですぐに話が進む。皆、音楽と笑い、そしてポジティブでさりげない友情で繋がっている。

もちろん俺がやっていること、言っていることの全てが正しいとは思っちゃいない。俺は今38歳。初めてアルバムを創ったのが1998年。あの頃、
俺の世界は札幌だけだった。俺や俺等は、今現在、数え切れないくらいライブに呼んでもらってる東京って街そのものと、そこだけに集まっている金と
名声を憎んでいた。それを奪うための大義は、こっちに、北にあると思ってた。その無邪気で純粋な大義の元、多くの人間を傷つけもした。事実多くの
MCの仕事を奪ってきた。お客も奪ってきた。もちろん暴力は使わずに言葉と音だけでね。だから、今現在、あの頃の俺等と同じ無邪気で純粋な大義を
持ち、俺等の仕事を、お客を、奪わなくてはこの先の人生はおろか、明日の飯すら喰ってはいけないMCが、どん底で、大勢があがいていることは理解
できる。俺等だけが安泰ってワケにはいかねえことは重々承知してる。何よりもそうやって色んなスタイル、思想、個性が切磋琢磨しあうことが良い
結果を産むこともあることを知っている。憎しみで終わらずにね。憎しみで終わることも多々あるけどね。とにかく、俺が言いたいのは、それぞれが、
それぞれの表現をしてれば良いってこと。あとはシンプルにお客が選ぶ。後々の歴史が勝敗を決める。MCはさ、それぞれから見える景色を、経験と
挫折と絶望と希望を、信念を持って言葉にしていけばそれでいいんだよ。それが仮に俺をディスることであったとしても、それがそいつにとって、どう
しても言わなきゃならない事なのなら言えばいいんだよ。いくら他人を削っても、自分が1番だと言い張っても、結局最後は自分自身との勝負なんだ。
人に向けた言葉は必ず自分に返ってくるんだ。絶対返ってくる。でもそれに気付くのはもう少し後のこと。気付かずに終わる奴等も大勢いる。俺自身が
この数年、色んなMCから投げつけられた罵詈雑言は、何の因果もない、防ぎようがない、理不尽なモノとは思ってない。あれは全て,もっと昔に俺が
誰かに吐いた罵詈雑言が返ってきただけ。それは受け止めなくてはならん。受け止め、自分に憶えさせ、心の奥深くに埋め込むんだ。そうすれば、次に
新しい表現を得る事ができる。返ってきた罵詈雑言に簡単に罵詈雑言を返したところで、また罵詈雑言になって返ってくるだけだ。ずっとずっとそれを
繰り返すだけ。何も残らない。ゴシップ好きを喜ばせても、俺はもう楽しくない。それがエンターテイメントだと思う人を否定はしない。そう思う人で
楽しめばいい。そう俺は、気付いた。気付けて幸運だったと思う。俺はもう誰かと罵りあいをしたいとは思わない。それで小金を稼ごうとは思わない。
それよりももっと難しくて、やりがいのある表現はある。昨年も、誰に何を言われても返答はしてこなかった。がっかりされても、バカにされても。

でも、そんなのは俺に言われたって、離れた北から、インターネットで、上から言われたって分からねえよ。なあ。経験しないと理解は出来ねえよな。
そりゃそうだ。だからさ、とりあえずは言いたいこと言ってりゃいいよ。理解しあえない人がいるのは残念だし、そりゃ削られりゃ痛みは少なからず
感じるけど、それがMC稼業。俺の信念は揺るがない。やるべき事は変わらない。お情け無用。今までもそうしてきたし、これからもそうしていくさ。

この世界ってのは、つまりMC稼業ってのはさ、絶対やって来る順番を回してるわけじゃない。待ってるだけじゃ絶対芽が出ない。そんな甘い世界じゃ
ない。のんびり屋には務まらない。自己顕示欲の化け物みたいなヤツだけが生き残ることができる。自分のスキル、度胸、説得力に、自信を通り越した
確信のようなモノを、ドロドロしたヤツじゃなくてはっきりと曇りのない正義を持ったヤツじゃなきゃダメなんだ。知らない街の、真夜中のクラブで
ずっとその街の路上で生きてきた荒くれどもを説き伏せなくちゃならない。パソコンの画面を閉じさえすれば逃げられるような仕事じゃない。

俺の仕事。12月はライブ三昧な毎日だった。1ヶ月10本。その間に風邪ひいて回復に使ったりしてたらあっという間に次のスケジュールが迫って
きてたりって、まあね、ほんとね、っぱなく凄い人等ってのは実際いるからね、1ヶ月10本なんて全然、大したことない数字なんだけどね。実際に
走ってみたら中々ハード。ま、皆、大変だよな。好きなことやれてることには感謝だね。余韻に浸る間もなくチェックアウトして、余韻に浸る間もなく
その街の仲間と別れて、次の街に着いて、リハで汗かいて、酒抜いて、飯喰って、宿戻って、ノド温めて、会場に行って、ダイが先に出て行って、あの
ライブのイントロの地下鉄が「ブシューッ!」ってヤツ鳴った時、返ってくるあのオーディエンスの叫び声がね、マジで俺を目覚めさせ、奮い立たせ、
勇気付け、覚悟を強い、そして最後のスイッチを入れるんだよ。そっからはもうあっという間だ。疲れも感じない。そんな繰り返しの1ヶ月間だった。

こっからはライブレポート。俺は自分の目で見て、耳で聞いたことしか書かない。書きたくない。だからそこに、底にいた人しか解らない話ですまん。
でもありのまま、俺はそこで、底で生きていた。俺とダイの2人だけだったわけじゃない。沢山のオーディエンスが一緒だった。君もいれば良かったと
切に思う。君がライブを観たことがないのは、君の住んでいる所に俺等がライブに行けなかったのは、君のせいじゃない。俺等の力不足だ。それだけ。
いつか君の住んでいる街の近くに行った時、どうか君も来て、観てみて欲しい。同じ時代に、同じ国に生きているという偶然の元、既にパーティーは
始まってる。噂話や作り話がどれだけ空洞で、バカバカしく、時間の無駄なのかを知ってる人達が、沢山そこに、底に集まっている。おもしれえぞ〜。

3日は東京。いきなりの大箱、スタジオコースト。去年のADFとのツアー最終日以来。あの日は最高の1日だった。音の鳴り、言葉の伝わり方に良い
印象を残していた箱なので、かなり楽しみにしていた。しかも主催はBRAHMAN!で、もう1つの対バンはEGO-WRAPPIN'!国内にこれ以上の強敵が
いるか?って感じのブッキング。そりゃ畏れてもいたよ。「やべえな、参加賞止まりになっちまうかも」。でも同時にこうも思っていた。「がっつり
やったるぜ!」。ここまでの強者が相手だと、ほんっと小細工なんてまるで通用しねえからさ、まして相手も絶対使ってこないのは分かりきってるし。
遠慮なしに(遠慮なんかしてたら2度とお声はかかんねえ)思いっきり自分等の表現をぶちかませる。しかも1番最初が俺等の出番。骨は後ろの皆が
拾ってくれる。リハの段階からバックステージでは皆、笑顔の中にも緊張感がビッシビシ漲ってた。オープンしてからは早かった。持ち時間40分の
公平な条件の元、3者3様の表現だったね。って言うか皆、凄いわ。同時に不思議な統一感すら見出せたな。明らかに希望があったよ。BRAHMAN、
本当に誘ってくれてありがとうございました。良い経験させてもらいました。最後のセッションも半端なく面白かった!昔はよくバンドに混ざって
ジャムしてたのを思い出したよ。打ち上げでは一転、皆、最高笑って酒を飲んだね。永遠に続けばいいのにってくらいの輝ける時間だったな。あの場で
俺等のことを初めて観た人も多かったと思う。何度も観ている人もいたと思う。全て含めて、皆、最後まで聴いていてくれてありがとうございました。

打ち上げで段々酒が入ってきて、気付けばTOSHI-LOWとRONZIとよっちゃんの4人であれやこれや話してて、テンション上がってきてて、声もでかく
なってきた辺りで、「やべ、明日も明後日もライブだ。」って独り現実に戻って、すぐに皆に挨拶して打ち上げ会場を後にした。そうなんだよね、その
日から3日連続ライブだったんだ。スタートしたばっかのここで声つぶしてる場合じゃねえ。で、ゆっくり休養してチェックアウト。そして宇都宮へ。
もう何度目か、いつからか数えるのをやめてしまった街の1つ。でもいつもライブやらせてもらってるプラネット以外では初。夕方に箱に入ってリハ。
この日も色んなジャンルのバンド、MCが混ざりあったイベント。やはりここでも張りつめる緊張感。ったくどこも一緒だ。今日は今日で、ちゃんと
超えなくてはならないヤマがある。ありがてえ。俺等もあくまでプロに徹するのみだ。ダイがしっかり音を作って、俺もしっかりと声を作って本番に
備える。で、ひとまず何か喰うかってことで2人で街をうろつく。何気に入った餃子屋、やはり旨し。後はやることやるだけ。いつもの週末の、深夜の
クラブとは違って、皆、シリアスに俺等の音楽を感じてくれていた。盛り上がってくれるのも、聴き入ってくれるのも、俺等には選べない。どっちでも
いい。オーディエンスと俺等に巡ってくるタイミングだし俺等がやることは変わらないしね。皆、最後まで聴いていてくれてありがとうございました。
対バンの皆の熱い想いや、ポジティブなヴァイブスにも感謝です。シゲ、お疲れさん!宇都宮から聴こえてくる音、言葉、楽しみにしていますよ。

翌日は八戸。3日間で東京から宇都宮、八戸、と奥の細道を上って行く旅。仙台を通過した辺りから去年の「AUTUMN....TOUR」を思い出してたね。
車窓からの景色、季節感があの頃の感じに似ていた。あれから1年以上か。終わりのない旅が未だに続いてるな。八戸は2003年の11月以来の
2回目。青森県では俺等、初めて上陸した街。もっと昔に来た感じがあったんだけどな。箱はライブハウスROXX。何と今年で20周年だ!めでたい!
20年は長いな。ちょうど2日前にBRAHMANのTOSHI-LOWも行ったことがあるって話をしてたし、先月にはラフィンノーズも来てたらしい。老舗
やね。その20周年に呼んでもらってマジで光栄だ。中は6年前と一見何も変わっていなかった。でもきっと色んなことがあったんだと思う。言葉では
簡単に言い尽くせないことがあるわな。何せ20年だぜ。タバコの煙に変色した壁紙や、何枚も貼り重ねられたポスターやフライヤーが無言で俺等を
見下ろしていた。「さあやってみろ。ご自慢の音を鳴らしてみろ。6年の成長を見せてみろ。」と言わんばかりに。この日のライブは90分。あの頃、
6年前は「未来は俺等の手の中」をリリースした年。まだ「THE WAY HOPE GOES」も「LIFE STORY」も産まれてはいなかった。何も始まっちゃ
いなかったんだ。きっと次の6年後もそう思ってるんだろうな。そう思っていたいな。皆、最後まで聴いていてくれてありがとうございました。青森
暖かかったです。そしてROXX!これからも末永く音を鳴らしていってください。また行ける日を楽しみにしています。田村君、お疲れさまでした。

札幌帰った途端、久々の3連チャンの疲労で風邪ひいた。さすがに焦ったけど、点滴打って、気合いで治した。でも相当体力が落ちてしまってたんで
この週のライブを乗り切るのが大変だった。2日ともクラブ営業。出番は深夜。このヤマをモノにして明日を生きるってやつだな。ったく絶対思った
通りには終わらねえんだよな。まずは千葉、柏。3年連続3回目、師走に登場。羽田からとてつもない渋滞、回り道に揺られ、着いた頃にはオープン
間近だった。この日は前週のスタジオコーストと同様、PAのサニーさん、照明の畠中さんという我等TBHの影のメンバーと言える凄腕が集結してた。
念入りに打ち合わせ、飯は昨年に何気に行ってがっつり喰らっちまった中華。いつものダイと2人よりも人数も多かったのもあってかなりワイワイと
賑やかだったな。で、本番。ステージに出て行って1分も経たずに分かったね。ここは灼熱のステージ最前線だ、と。病み上がりだったがそんなのは
何の言い訳にもならねえ。文字通り必死だった。鬼気迫りまくってたよ。皆の俺等を支える視線があったから最後まで行けたって思う。マジでキツかっ
たが、超えるべくして超えた。あのタイミングでまたレベルを上げた。俺はそう思ってる。皆、最後まで聴いていてくれてありがとうございました。
終わってから柏を代表する友人達といい話ができた。3年という時間をかけて、俺等はゆっくりとお互いを理解していってる。続きは確実にまだある。
柏と俺等、あの場にいた俺等しか知らない。歴史が積み重なっていってる。いつも親切に迎えてくれて感謝です。お互い生き残って、また必ず会おう。

翌日は高崎。柏から一旦上野に出て、そこから新幹線で。高崎も2年連続この季節に行ってるよな。この日は暖かかった。箱に入るとKRUSHさんが。
そう、このイベントはKRUSHさん、BAKU、Q-ILLと一緒。HISOMI TNPも一緒。ワクワクするメンツ。KRUSHさんとは9月のニューヨーク以来だ。
するとBAKU到着。段々、話の輪がデカくなってくる。皆、しっかりリハ終わらせて、飯喰いながらKRUSHさんと相当話した。去年もね、ここ高崎で
一緒になって色々話させてもらったけど、今年はゆっくり時間かけて色々聞いた。海外で闘う場面が最近は圧倒的に多いKRUSHさん。誰も知らない
所で、皆が仲間と遊んでる時間、とてつもなく遠くまで行って、たった独りで闘い続けてる。もう大御所然としてても良いくらいの人なのに、俺等と
話が合いまくる。同じとこで笑える。同じ種類の苦しみと傷を俺等より持ってる。つまり、彼もチャレンジャーだってことなんだ。俺等もまだまだだ。
頑張るぞおお!って思える。良い時間だった。会場に戻ると、既に沸騰しまくってるオーディエンスが。今年も皆に会えて上がりました。1歩も引かぬ
勝負だったはずが、段々壁がなくなっていって、輝けるエンディングに皆が包まれる。バッチリだったぜ。皆,最後まで聴いていてくれてありがとう
ございました。終わってからは、そ〜と〜飲んだね。KRUSHさんも、町田から駆けつけた山仁も、写真撮りに来たハヤチンも、マコト君も、もうさ、
出演者か地元かなんか誰も問わずに混ざりあって、BAKU聴きながら、乾杯&大騒ぎしてた。大爆笑だったな。ジョセフ、お疲れさん、面白すぎたぜ。

翌週は大阪。今年3回目。過去2回も極上の夜だったな。俺等もずっと長い間サポートしてもらってるカジカジって雑誌の15周年企画。めでたいね。
夕方に新千歳を離陸して、関空に着く頃にはもう暗かったな。もう随分見慣れた道をかっ飛ばして、まず何よりも先に向かったのはCOCOLO ROOM。
ハラQと久々の再会を果たし、その日にステージで着るTーシャツもらって(いつもありがとう)、アメ村へ。箱はJOULE。デカイな。前売りもすでに
500枚突破してるらしい。凄そうだ。共演もレゲエからHIP HOPまでかなり幅広く、初めて会う人も沢山いて、俺等はライブのトリってこともあって
ワクワクしつつも静かに燃えていた。PAとしてサニーさんにも来てもらっていた。恐らく今夜のパーティーは色んな年代、音楽の好みが混ざりあった
客層だと思う。そんなカオスの中で俺等を目当てに来てくれている人は無論、全く畑の違う人までをどう巻き込むか、与えられた40分という俺等に
とっては決して長くはない時間の中、いかに魂を燃やしきるか、そんなことをずっと考えていたよ。旨過ぎな鳥鍋を喰って、体を温めて、会場に着くと
いやー入ってたね。景気いいね。上がったよ。友達も大阪、京都、神戸から集まってた。NG HEADの熱いライブの後、俺等の登場。40分一気に走り
抜けた。口をポカーンって開けてるお客からも目をそらさず、誠意を持って魂を残してきた。皆,最後まで聴いていてくれてありがとうございました。
終わってからは般若と洋介、CHEHONの4人で乾杯したり、あり得ないメンツで遊んでたよ。大阪、いつもいつも楽しませてもらってます。ピース!

そしてその日はやって来た。今年最初で最後の札幌でのライブ。フィルモアノースでのTBHR祭。愛する我等のホームタウンに住んでいる皆に、そして
音楽家に、音楽愛好家に、いつも遊んでる友人に、古くからの友人に、俺等が札幌でライブをやっていなかった15ヶ月の間に俺等が磨いてきたもの、
日本中の同じ価値観の友人達と大切に共有してきたもの、変わったものと変わっていないものを、全て隠さず知ってもらう機会が遂にやってきたんだ。
PAのサニーさん、照明の畠中さん、俺等の言葉と音をよりリアルなものとして、目と耳に浮かび上がらせることができる、大切なメンバーの2人にも
札幌に来てもらった。俺とダイでライブの曲順を組み、その中に隙間を探し、そこに新たな言葉や音を埋め込んでいき、そこにサニーさんと畠中さんが
さらに隙間を探し、エフェクトと光を埋め込んでいく。そうやって出来上がった今回のセット。1時間45分の間にはこれ以上(日が経てば再び隙間は
生まれるのだけど)、立ち入る隙は残されていなかった。これ以上入れると過剰になってしまう。そういうギリギリの境地で成立している作品なのだ。
たかがライブだと思うかも知れないが、これはれっきとした空間彫刻なのだ。後はそれを表現するだけ。口火を切ったO.N.OのMACHINE LIVEの時点
でフロアーは沢山のオーディエンスで埋まり、既に沸騰を始めていた。O.N.Oも煽り、ねじり、飛ばし、上げまくる。そしてその時はやって来たんだ。
マイク1本もってステージに立つ。何百という目がこっちを見つめている。さあ彫刻を始めよう。緊張するのも、勢い余るのも、失敗するのも全てが
未完成な生身の人間である証拠。そんな人間も完璧な表現に憧れ、それに近づきたいと思い、そこへ向かうべく努力を何度も繰り返せば、一瞬だけれど
報われる時がやって来るんだ。それはすぐに過去に流れていってしまうけれど、何度でも創り直すことができる。気付けばそんなことを考えていたよ。
そして輝けるあのエンディング。拍手と歓声。充満するポジティブな空気。音楽をこの街で続けてきて良かったとマジで思った。この街の皆にも俺等の
思想はちゃんと届いていて、しっかり共有できているんだ!って思いました。皆,最後まで聴いていてくれてありがとうございました。浮き沈みに体と
心を寄り添わせながら、俺等を上げてくれて、そしてハッピーエンドを与えてくれて感謝です。最高でした!終わってからも最高でした。皆と酒を飲み
笑い、ふざけ、語り、楽しかったね。地元はいいね。ジョージも来てて、短い時間だったけど何年ぶりってくらいゆっくり話した。いい感じで、そんな
俺等を取り囲む皆もまたいい感じで、皆、笑ってたね〜。フィルモアノースの皆さん、お疲れさまでした。来てくれた皆、また会う日まで元気でな!

1日休み、パーティーの余韻も手応えも、まだ残った状態で、俺とダイは羽田に着陸した。この日は東京、渋谷、ASIA。16ヶ月ぶりの登場。前回は
どっしゃ降りだった。良い夜だった。あの円山町の人間の欲望で大混雑な坂を上がってASIA到着。続々今夜のゲストもやってくる。WRENCH、太華、
OLIVE OIL、そしてKEN ISHII。混ざってるね。皆、何度も、日本中の現場で顔を合わせてきた強者ばかり。この頃になると、当たり前だけど札幌での
ささやかな達成感は完全に消え去っていた。やらなきゃやられる。喰わなきゃ喰われる。いつものことだ。これが俺等の仕事だ。この日のPAさんは
サニーさんではなく、でも最高にガッツのある人だったんで、俺等もやる気満々でリハ。終わってからも入念にミーティング、言葉1つ1つにかける
エフェクトなど、細部まで打ち合わせ。何か、やばいことになる予感。会場に戻るとさすがASIA。しかも年末。がっつりお客が入ってる!よっしゃ!
太華の、気持ちが乗り移ったMCの後、ダイが地下鉄を走らせる。熱狂、絶叫するオーディエンス。それから90分。ハードだったなあ。次々繰り出す
クラシックを反射的に聴き取り、受け止め、更に倍の熱量で返してくる違いの解るオーディエンス、最高すぎたぜ。ほんっと凄すぎた。ただの年末に
よくある1日で終わるには惜しすぎる。それくらいの夜だった。東京、2009年も沢山のライブを俺等、やらせてもらって、毎回、来てもらって、
最後、あんな形で上げてもらって、マジで感謝しかありません。皆、最後まで聴いていてくれてありがとうございました。ナオミちゃんお疲れさま!

翌日はオフなんで、中野行って森ちゃんと遊んで、翌日ウルトラ行って細かい仕事して、新幹線乗車。右手に富士山を見送りつつ、着いた街は名古屋。
今年2回目。7月のZAZEN BOYSとの共演も記憶に残ってる。あの日の望みの続き。着いた日もオフだったんで、鰻喰って味噌煮込みうどん喰って、
このページの文を書いたりしてた。体調が良くなかったんで、このままホテルでのんびりしてようと思ったけど、4日前に札幌のフィルモアノースで
共演したDJ HIKARUが偶然名古屋に来てたんで、聴きに行く。地図見ながら、迷いつつ、BUDDHAに到着。行ってみれば、またもや友達が一杯いて
しかも初対面の人も共通の友達沢山いて、初めてだってのに随分と酒も飲ませてもらっちゃいました。ありがとう。HIKARUの爆笑トークに笑いつつ
翌日のライブのことが頭に浮かび始めてきたとこでホテルに戻り就寝。翌日、また鰻を喰って、ダイ、クラナカと合流。で、リハ。箱はRADIX。久々。
もう何回目だ?随分来てる。リハしてまたうどん。しっかり暖まって箱へ。クラナカの相変わらずのスーパードープな時間の後、登場。クリスマスの
深夜、集結してくれた沢山のオーディエンス。俺等も応えるべく100分のロングセット。しっかし意味深かったねえ。極上の静寂と、最後の爆発を
俺等に与えてくれたおかげで、この1年間、ひたすらに鍛えてきた表現を、余すことなく出し尽くすことができました。皆、最後まで聴いていてくれて
ありがとうございました。終わってからは刃頭のプレイ聴きながら、名古屋の友達と飲んで、語り、笑った。クラナカお疲れさん!社長、ゴチでした!

2009年最後は例によって北見。ほんと何故かツアーの最初や最後は北見になることが多い。あの雪深い峠やトンネルをいくつも越えた所に、暖かい
心が宿るクラブがあって、素晴らしいオーディエンスがいるんだ。数々の夜を彼等、彼女等と見送ってきた。去年も最後は、ここでまた来年会おう!と
言って別れてきたんだ。そこ目指してダイと札幌駅から出発。4時間半の道のり。新幹線で4時間半だったら一体どこまで行けんのよ?とは言っても、
もう何度も通ってる道、暇のつぶし方を心得たもんで、今回は意外と早く感じたな。グリーン席ってのもあったかな。着いてホームに降りると、やはり
寒い。おっ近くに肉まん屋でもあるの?って自分の息かい!ってくらい息が白い。おなじみHOOPLAへ。ダイが入念に音を作り、声を合わせていく。
年末のライブの連続でノドが消耗してるな。よし飯だ。北見と言えばの肉。俺的に日本で1番ホルモン焼肉が旨い店がある。いやマジで。いつ行っても
同じクオリティを提供するのがプロ中のプロだな。今回もうめえ!しっかり喰ってスタミナ補給。戻ると既にフロアーは熱かった。セットは110分。
これぞ真夜中のクラブって感じの、お客との距離が近い接近戦。1歩も引かずに言葉を心めがけて撃ち込んでいく。お客も1歩も引かない。俺も君も
皆がストイック。いつもながら最高だったぜ。最後が北見で良かったです。皆、最後まで聴いていてくれてありがとうございました。そして既に恒例に
なりつつあるアフターアワーズ。またもやあり得ないことになってました。楽しすぎた。ありがとう。究極に遊んだね。まっつん、セイスイお疲れ!

今は北見からの帰りの電車の中。気付けば長くなってしまいました。最後まで読んでくれてありがとう。

今年もよろしく。お互い頑張りましょう。

ILL-B