ILL-BOSSTINO(THA BLUE HERB) MONTHLY REPORT 2015.03

3月。

またあの日がやって来る。無論、忘れたわけじゃないが、日々の生活の中で、悲しみの記憶が少しずつ薄れていく事は一種の救いでもある。時間の流れが
解決する事はある。否、時間の流れしか解決出来ない事はある。ただ、同時に決して忘れてはいけない事もある。そのために季節は1周するんじゃないかと
思う。巡り再びやって来るその日が思い起こさせる感情は人それぞれだが、とにかく、生きてその日を迎えられた事を改めて確かめるだけで想いは深まる。
離れた場所に住む俺などと違い、実際に災いに遭われた人、大切な人やものを失ってしまった人、降り注いだ理不尽に愛する故郷での日常を奪われた人、
これまでの皆の苦労を、生活を立て直すまでの闘いを想うと、またすぐに言葉は無力さを漂わせる。あの日、言葉を失った記憶が蘇る。すぐにでもその
気持ちに立ち戻る事が出来る。まだ傷は深い。治ってなどはいないのだ。死んでしまった人のために残された人は祈る。俺はその残された人のために祈る。

俺のソロアルバムプロジェクト、着実に進行中です。2月はまず3曲録ってみました。3曲それぞれビートメイカーは違います。東京、滋賀、北九州小倉の
ビート職人との制作でした。詳細はまだ発表出来る段階ではありませんが、三者三様、言葉と音のガチのぶつかり合いになりました。しかし、まだここは
道の途中。インプットもアウトプットも足りない現時点、いつもの産みの苦しみを楽しんでもいます。悠長に構えているつもりはありませんが、焦っても
いません。この人のビートでラップしてみたい、この人とラップしてみたい、そう望んでいても、全てを実現するためには、色んな過程があります。俺は
O.N.Oとずっと組んでラップアルバムを創ってきたラッパーなので、こうして1人と1曲を何曲もって感じでアルバムを創った事はありません。それが出来る
までに長い時間がかかった。今、俺が創りたいって人の連絡先は全てすぐ手に入る。自分が何者かを伝えなくても相手は俺のこれまでの生き様を知っていて
くれている。オファーに上がってくれる。気合い入れまくってくれる。ありがたい事だ。だから俺も望んでいる全てをここで実現させるつもりでいるぜ。

最近はDJを一緒にやってる事が増えました、CALMさんとのJAPANESE SYNCHRO SYSTEMですが、これ、実は最初は音楽製作プロジェクトだったの
です。今は情報の流れは早いからね、そこ知らない人もいると思います。2006年に2人でアルバムを創ってるのです。もう廃盤扱いになってから暫く経つ
のですが、この程、配信という形で再発決定しました。配信自体ね、俺も色々思う事があります。やんないの?って言われたりもします。TBHR関連に
ついては、今は一部の作品だけ、それも海外の人に向けてはやっております。よく海外からCD買いたいってメールが来るのでね。でも、まあ、将来の事は
今ここでは何も約束出来ないけれど、今日の気分としては、まだCDで出そうって思ってます。世の中の流れとは全然違うだろうし、もちろん聴いてくれる
皆にも色んな意見がある事も理解しております。でも俺はまだジャケットも歌詞カードも帯すらも、隅々までこだわって創る方を選ぶ。ま、その話はここは
置いといて、今日はJAPANESE SYNCHRO SYSTEMの配信開始の話ね。もう既に発売中です。当時アナログでしか発売してなかった曲も発売してます。
カールクレイグ師、ジェラルドミッチェル師のリミックスも!正直ね、俺ね、今までTBHやハーベストムーンやレーベルのコンピとか人生において色んな
形態でアルバムを残してきましたが、自身、今日現在で今も完璧だと思っているアルバムの1つです。これは聴いてくれた人の意見とは一致しない事も多々
あります。あくまでそれを創った俺の中でって話です。そこはお忘れなく。発表してからそのアルバム内の曲達を、世界のあちこちで聴いてきましたが、
未だにここをもっとこうした方が良いって思った事は1度もありません。「LET'S GO BANG!」なんてその夜で1番盛り上がる事も普通にあるからね。
カバー曲あり、インスト、ポエトリーリーディングと、非常にバラエティーに富んだ楽曲達です。アルバム前に挨拶代わりにと自分達の方向性を提示した
「THE FOUNDATION」(アナログのみの曲、各種リミックスもこちらにあります)、そしてアルバム「THE ELABORATION」。よろしくお願いします!

ニューヨークに来てました。百何十年ぶりの寒波らしく、札幌から来た俺も今回は相当参った。風が冷たく、縮こまって生活してました。ただ!ダンス
フロアだけは超熱かった。これはいつ来ても、何度来ても変わらない。皆、間違いなく全員が連日の寒さにヤラレてて、だからこその反動がマジ半端なく、
久々のTシャツで汗だくで踊りまくってました。相変わらず、先輩ダンサーがグイグイ引っ張り、呼応する合いの手やらホイッスルやらタンバリンやらが
鳴り響く。人種も性別も超えた世界。ニューヨーク自体がそういう街なんだけど、それでも線は引かれてる。住む場所であったり、生活の格差であったり、
違いはやはり実在する。でもダンスフロアは違う。ファンキーな奴の天下。それだけ。少しでも気後れしてると、知らず知らずの内に、何気に後ずさってて
気づいたら背中にスピーカーがある。そんな事、日本では1度もなかった。自分のノリ自体が思いっきり問われる。最初はそこにぶつかる。でも、やがて
音楽が発してるグルーヴと一体になれば、歌われるメッセージを理解していけば、そこがまさに洗濯機の中のようなグッチャグチャのダンスフロアでも、
誰にもぶつからずに踊る事が俺にも出来る。俺もそこでは若輩者の1人。何せ45年続いてるパーティーときてる。俺などは、もちろん名もなきダンサー。
皆、自分こそが今夜の主役と言わんばかりに輝きまくってる。全くもって、凄すぎて見とれちまう。俺はプレシャスホールのダンスフロアに辿り着いた時、
何が1番楽しかったかというと、俺がそこに来る前にそこで行われていた、まるで秘め事のような宴と、そこにあった時間を想像するのが楽しかった。俺が
普通にそれなりに過ごしていたと同じ時間、人生の瞬きの中に愛の神秘を垣間見ていた人達の事を想像するのが楽しかった。それからも時間は流れ、今は
そんな先達とも知り合い、話し、一緒に時間を過ごす事が増えてきて、札幌の先輩達は俺の事も仲間に入れてくれて、素晴らしい時間を俺にも分けてくれた。
小さな街だし元々大きな集まりでもない。お互いを理解しながら、札幌における成熟は今日まで続いてきて、そして続いていく。ここが俺の到達点であり、
ここが戻って行く場所であり、ここで終えるイメージで生きてきた。1998年の秋の夜にそこに初めて行った時からずっと。でも、こっちは45年続いてる
パーティーときてる。積み上げてきた時間の長さ、重さ、突き詰めればそこで生きていた人の、死んでいった人の、見送ってきた人の、生き残ってきた人の
想いの数が全く違う。そこまで想像すると、曲の聴こえ自体まで、もう全然違う。そこを感じる事は出来ても、目の前の彼等彼女等と一体化する事は、やはり
出来ない。入って行くにも限界がある。近づけば近づく程、遠ざかっていく。だから想像するしか出来ない。自分の両親世代の遊びっぷり、今昔物語、会話、
陰影、全てがもう最高に味わい深い。同じニューヨークの美術館で観たどんな絵よりも、どんな彫刻よりも美しい。人生の喜び、そして悲哀をたっぷりと
溜め込んだ雰囲気は、俺にとってはこれから行く場所、すなわち未来の啓示に満ちている。遠い道のりを越えてでも、訪れたいパーティーがこの街にはある。

そして旅は続く。

ILL-B