2月。
札幌は年明け早々に暴風雪が来て、そこ落ち着いたと思ったら超大雪だったりと大変でしたが、そちらはどんな感じでしょうか。冬の底、楽しんでますか。
俺は今タイのチェンマイに来ています。2年前にスリランカ行った時にバンコク経由だったんで、その旅以来のタイ。ここチェンマイは実に25年ぶりに
来ちゃいました。前回は2000年の年の暮れから年明け、そう、21世紀に入るタイミングでこの街にいました。その時は結果的に11ヶ月の世界放浪でして、
秋に日本発って、バンコクからラオスに行って、メコン川を伝ってタイに再入国して、北部の街を回ってチェンマイに来たんですね。俺、29歳。東京で
出発前日にクラッシュさんと「CANDLE CHANT」を録って、そこで仕事にひと段落付けて、バックパック背負って世界に踏み出したんです。バンコクも
まだ今のド派手な空港じゃなくてね、先に行ってたO.N.Oが迎えに来てくれて、そこから、何せ安旅仕様なので、鉄道で街まで行って、カオサン行って
俺等の仲間の定宿ジプシーゲストハウスに着いてって感じのスタートでした。実質初の世界旅行で、まあ上がってましたね。インターネットもまだ出始めで、
ローマ字で打って読んでってノリ。日本語が入ってなかったんですよ。なので日本の仲間と連絡取るくらいで、地図も情報も何もそこからなんて
手に入れる事はなかったね。地球の歩き方すら知らなかったし。まずなんとかして街に着いて、宿を回って部屋見て値段交渉する。それはそれは大きく
回り道はしたんだろうけど、それしか手はない。今とは全然違いますね。宿のベランダで一服しつつ、色んな国から来た人のどこそこ行った話を聞いて、
次にどこに行くのかを決める。持ってるのはバングラデシュ航空の1年オープンのチケットのみ。たまらなく自由でしたね。O.N.Oとラオス行って、
ビエンチャンからワンビエン、シェンクワンのジャール平原行って。そこは7年後またO.N.OやDYEや仲間と3枚目のアルバムの中ジャケットの写真を
撮りに行ったんです。ビエンチャンの博物館で見た1枚の写真と同じ構図で撮ろうぜって。1回目の時は、よく来たな日本人ってくらいまだ全然足を
踏み入れた奴等は少ない土地っぽくて、同年代からちょっと若いかな、体中にカブトムシをテープで付けて、そのまま日本行って、カブトムシ全部
売って金作ってゲストハウス建てた奴と相方と俺とO.N.Oの4人で毎日色んな遺跡で遊んでました。そこからルアンパバーンに行って、そこでO.N.Oが
日本に帰って、いよいよ一人旅になって。寂しくてね。メコン川ボートで上って、タイに入って、一応見とくかってゴールデントライアングル行って、
で、チェンマイ。あれから25年。世界も俺も随分変わって、ほんと便利になって。コーヒー飲みたくてもネスカフェしかなかったのに、今はチェンマイ
近郊でコーヒー豆の栽培が定着して、焙煎も自分達でやる美味しいお店もたくさんあって、前は生ビールもなかったけど、現地のIPAの生があったり。
25年前は1000円以上の宿には泊まらないとか言ってても、選択肢がめちゃあって、それが普通だったけど、今はもう違って、それでも値段以上の快適さを
享受させてもらってる。円も弱くなって、換算して比較すると随分と状況は悪い方に変わったけど、それでも、まだ全然ね、楽させてもらってると思う。
タイにおける富の偏在は日本なんて比べものにならないくらい酷くて、階級差も厳然とあって、そこを変えようとずっと頑張ってるけど、中々変わらなくて、
どの国にもそりゃ色々あるけど、ほんと皆さん商魂逞しく生きている。昔みたいにアメリカの属国程度の国から来たガキがただの為替のマジックでまるで
貴族みたいな生活が出来るような状況はやっぱり間違いで、不公平や不条理の象徴がリュック背負って歩いてて、本人気付いてなくて、タイは安い安いで
旅人気取ってたのは今思うと気恥ずかしくもなる。そう思うと、かける3だったのが、かける5になってる今の方が、自然に地元の皆さんの世界に入って
いける感じがする。そこら辺は人それぞれですが、俺はそう思う。BOSSなんて通り名を捨て、当たり前だけど本名を名乗って。でも話が進んで、俺の
やってる事を知ってくれてる人もいたり、何せまだ2000年。それでも知っててくれたりもして、11ヶ月の放浪、タイ、ラオスからタイに戻って、ネパール
行って、トルコからギリシャ、ジュネーブからアムス、そしてニューヨーク、911があって、またアムス行って、最後にまたタイ、1年オープンチケットで
帰ってくる。その間、その街でちょっとツルんだり、一緒にヒマラヤに入ったり、思いがけずに再会したり。あの輝ける日々、出会った奴等、元気かい。
今も旅してるかい。
1曲贈ろう。
ILL-B
